入院

7年ぶりに入院することになった。今回入院する国立H病院は、別の病院と合併し、今年の4月から組織が独立行政法人になった。今回入院した病棟も4月1日にできたもので、建物も改装していて中は新しい。病室は4人部屋で広い。
初日ということで、看護師から入院生活の諸注意をうけたうえで、生活習慣や宗教(学校や病院は中で勧誘する輩がいるので宗教には神経質)について聞かれる。

血液検査など最初の検査も終わり、荷物を整理して家族も帰ると、あまりにもすることがなく、「さて、どうしよう」という気分になる。これは何回入院してもいつも一緒であんまりいいもんじゃない。

ぼうっと天井を見てると天井の模様が波打ったり天井に波紋がひろがったりする。
全くしらふの状態なのにな笑
とりあえず検査などしつつ16日の手術を待つことになる。

今回入院するまでの経緯は以下の通り。

1996/05/17
埼玉県内でバイクを運転中、乗用車と衝突し、救急車で運ばれ入院。左下腿粉砕骨折と診断される
1996/06
千葉市内のH病院に転院。骨折部(左足首の約10cm上の部分)がMRSAに感染し、骨髄炎と診断される。
1997/03
10数回の手術を受けて退院したが、その後も入退院を繰り返す。まだ骨折部が癒合していないのでイリザロフ創外固定という装具を足につけて骨を固定していた。これがどんなものか興味のある人は”イリザロフ 創外固定”というキーワードで検索してみてください。
1997/09
骨癒合したのでイリザロフ創外固定をはずし、両足で歩けるようになる。骨折部に電極を貼り微弱な電気を流すことで骨癒合を促すという、深夜の通販番組にあるような怪しげな器具を用いた治療を受けたところ、見事骨がくっついた。
1998/02
骨折部の皮膚に穴が開き骨髄炎が再発したためH病院に入院し、手術。手術が終わったのは翌朝5時でこの病院の最長手術時間を記録したが今もまだ1位かどうかはしらない。大学は無事卒業できていた。
1998/06
退院。足首の角度がおかしいまま関節が固まった為、足の裏に不自然に体重がかかり、しょっちゅう傷ができ、痛みを伴うようになる。
2002/01
足の裏にできる傷の痛みがひどいため、知人に紹介されT大学付属病院に入院。足首の角度を直す手術を受ける予定だったが検査の段階で手術により骨髄炎が再発する可能性が高いことがわかり、手術は中止。当時の担当医に左下腿の切断を勧められた。
2003/05
仕事中に40度を超す熱を出し、骨髄炎と思われる症状が出た。T大学付属病院に行ったところ、当時の担当医は既に異動しており、別の医師になっていたせいか入院はしなかった。
2003/09
仕事中に再度40度近い発熱。夜中にN大学付属病院に運ばれ、そこの医師から切断を勧められる。明け方T大学付属病院に移動しそのまま3日ほど入院。このときから足を切断にすることについて前向きに検討するようになった
2003/10
T大学付属病院での治療に行き詰まりを感じ、H病院にいたときの主治医N先生の元へ。
2004/03
主治医およびC大学付属病院Y先生と相談の上、
・将来も機能回復の見込みがないこと
・義足の方が運動能力が高いこと
・このままだと骨髄炎が再発する可能性が高いこと
・将来的なことを考えると若いうちに切断しリハビリした方が社会復帰しやすいこと
以上の理由から残っている左足をH病院で左足を膝下12センチほど残して切断する手術を行うことに決定。

96年から97年にかけての入院生活は本が一冊書けるくらいいろいろあったが思い出したくもないので書かない。